出町の発展と夜高祭の歴史

今から約500年前、後に「出町の大ケヤキ」と呼ばれる木が砺波市広上町にあります。

かつて大ケヤキの西側には庄川の支流である中村川が流れており、川を行き交う人々にとって大ケヤキは大切な目印となっていました。

現在の砺波市出町地区に町が開かれたのは慶安2年(1649年)、杉木村二郎兵衛らが杉木新町を開き、後にこの大ケヤキの周辺が町の共同墓地となりました。

そして翌年の慶安3年、杉木新町の総氏神として出町神明宮が勧請されました。

出町神明宮は今でも出町子供歌舞伎曳山の神社として慕われている他、神明宮を氏子とする町内の中には、夜高祭で夜高行燈を奉納する町内もあります。

「田祭り」から砺波野夜高祭のオオトリへ

田祭りとしての夜高祭

砺波地方は古くから農民の町として発展したことから、砺波地方の夜高祭は「田祭り」として発展してきました。

各地で見られる田楽や夜高行燈には「五穀豊穣」「豊年万作」等、豊作祈願に由縁する文字を見ることが歴史を物語っています。


砺波地方は古くから農民の町として発展したことから、砺波地方の夜高祭は「田祭り」として発展してきました。

各地で見られる田楽や夜高行燈には「五穀豊穣」「豊年万作」等、豊作祈願に由縁する文字を見ることが歴史を物語っています。

かつては「やすんごと」の日に行われた

戦中、戦後は資材や労力不足から中断(1959年から8年間中止)したことがありますが、1967年より復活し現在に至ります。

かつては植付け盆と呼称せられる「やすんごと」の日に行われていましたが、時代の流れと共に6月第2金曜、土曜に行われるようになりました。

砺波市出町地区は商業、工業が発達し、夜高祭本来の「田祭り」としての意味は薄れつつも、砺波平野の初夏の夜を彩る風物詩として親しまれています。

出町地区の夜高祭り

砺波地方には

  • 福野夜高祭り
  • 津沢夜高行燈祭り
  • 砺波夜高祭り

の3つの代表的な夜高祭がありますが、砺波夜高祭りが6月中旬と開催が遅いため砺波野の夜高行燈のオオトリと言われています。

その名にふさわしく、現在では規模、観光客数、露点の数、大行燈の本数全て最大となっています。