富山新聞から読み取る砺波夜高祭の歴史
1967年(S42) 6月12日 富山新聞より
夜高あんどん 引き 砺波で豊作祈る田祭り
穀倉砺波の田祭りは十、十一の夜、七本(南町、東町、新富町、中町、西町、桜木町、春日町)の夜高行燈が8年ぶりに市街地をねり歩き今年の豊作を願った。
十日はツユ本番の雨模様。干害に悩む農家の人達にとっては、まさに恵まれた田祭り。その中を、そろいのハッピを着た子供達が、掛け声も勇ましく高さ4,5mもある大行燈を太鼓に合わせて引き回した。
「宝船」や「おおどり(南町)」のオーソドックスな夜高から、子供達の夢をかなえた「月ロケット」「大魔神とオバQ」など新しいアイデアを盛り込んだものまで登場。もともと、田植えを終えた農家の人達が、農繁期の合い間ひと息入れたのが始まり。いつのまにか商店街の景気づけに市街地からも出るようになった。
夜高行燈コンクールが行われ、次のように入賞した。
1967年度 行燈コンクール結果
市長賞:南町「おおどり船」
商工会議所会頭賞:東町「花篭」
商店会理事長賞:新富町「屋形船」
努力賞:中町、西町、桜木町、春日町
当時の夜高祭り
この年の夜高祭は参加町内7つ。
現在14町内だからちょうど半分ですね。8年ぶりということでその前は1959年。
新聞記事では1962~1965年の記載を確認しているので夜高自体が中断していたわけではなく、あくまでも出町市街地に夜高が集ったのが8年ぶりということなんでしょう。
管理人の町内、太郎丸が出町に参戦したのが1974年のこと。まだまだ先の話です。