昭和初期、新聞沙汰となっていた”出町田祭り”

砺波夜高のエネルギーの焦点、『 突き合わせ 』ですが、かつては場所、時間、相手などを決めず、また1対1ではなく交差点で挟み撃ちにしたりなどと壮絶なことをやらかしていたようです。

もっともこれは祭り行程というよりも事件的な位置付けで起こっていたようですが。

昭和5年の新聞記事です。

この記事では合計で6町内が入り乱れて修羅場を演出したと書かれています。

桜木町、新町、川原町の連合軍vs南町、中神、西町の連合軍という構図になっていますね。

地理的に考えても出町の東西対決かな?と言った感じです。現在の南北、西、東という構図の前身になったのでしょうか。

昭和中期、場所と時間を決め 突き合わせ

流石に新聞沙汰になる、怪我人を出すような祭りをしていては・・・とのことで場所と時間、相手を決めて 突き合わせ をするようになったそうです。

そうなっても 突き合わせ の激しさが衰えたわけでなく、挟み撃ちなどが無い分激突スピードは速く、助走距離は長くなっていったと言われています。

 

西町vs三島町の貴重な 突き合わせ 写真

まさに修羅場!?貴重な写真を入手できました。 突き合わせ の一部始終が連続的に撮られていています。

激突前

激突

既に山車が傾いてる?折れているか?

三島町が頭を上げて前進

完全に心木が根元から折れてしましました。

現在は当時と比べると助走距離が長くなりスピードが速く、衝撃が強くなったと思いますが、その分夜高行燈の構造も強靭になったのと、安全面から心木が折れる前に止める、心木にヒビが入ったと分かったら以降の突き合わせは行わないとする町内がほとんどなので写真のようになることは無いと思います。

また良く見てみると現在のように曳き子と観客を仕切る安全柵等も見当たらないし警察のヘルメットも見当たりませんね。今からすると危なくて考えられないことです。

見てきたように昭和初期~中期~現代の間でも突き合わせ(喧嘩?)の形式が変わってきていますね。引き続き調査をして面白い、決定的な記事、写真を見つけることができたらまた紹介していこうと思います。