福野夜高祭砺波夜高祭の違い、全地域と比べた時の違いなどをまとめてみました。

今回は福野夜高祭との比較です。

福野夜高祭とは?

唯一、神事としての夜高祭

富山県南砺市福野地区で5月1・2日に行われます。

福野町開町の時、伊勢神宮からの分霊を迎えるために行燈を持って迎えたのが発祥と言われており、福野神明社の春季祭礼として行われています。

 

町内紹介

上り行燈、左から上町(高見座)、七津屋(屋形船)、新町(神輿)

下り行燈、左から浦町(御所車)、辰巳町(宝船)、横町(大黒)

御蔵町(花車) *曳き合いの時に下り行燈の最後尾に並ぶが喧嘩はしない。

出町の夜高祭との違い

*参考:ようこそ福野夜高祭

  1. 神事から発展した祭である。
    福野の夜高祭の起こりは、神迎えの『神事』です。おそらく唯一の神事。
    ⇒砺波平野広域で行われるそれ以外の夜高祭は田植えが終わったことを祝う、また『豊年満作・五穀豊穣』を祈る『田祭』から発展。
  2. 福野は曜日指定ではなく、開催日固定
    GWという特別な期間ではありますが、必ず5/1、2に開催。
    ⇒出町では6月第2金曜、土曜開催。
    ⇒津沢では6月第1金曜、土曜開催。
  3. 福野は雨天でもビニルを被せない。
    神様を迎えるということで大行燈は雨が降ってもビニルを被せない。
    ⇒出町では雨天の場合、勢揃い、突き合わせの時以外はビニルを被せる。
  4. 福野は行燈が倒れても『倒れる』とは言わない。
    神様を迎える御神燈。例え行燈が倒れても『傾いた』と言う。
    ⇒出町では倒れるというより心木が折れることがあるのでどう言うのか分かりません(笑)
  5. 福野は全町内の行燈が順番に『福野神明社』に参拝。

 

神社参拝について


福野夜高祭、上町の神明社参拝。神事のため、田楽には『御神燈』の文字があります。

出町の夜高は神事ではないのと、必ずしも『出町神明社』が参加町内のお宮さんでは無いので(太郎丸、新富町、神島などは出町神明社の氏子でない。)参拝しない町内もあります。

出町神明社に参拝する町内は新町、東町等、東5町が多い。南北でも参拝する町内あり。


出町の太郎丸大行燈。神事ではないため田楽には『祝田祭』の文字。

 

行燈構造の違い

福野の場合(参考:ようこそ福野夜高祭へ)


砺波の場合

 

決定的に違うのは前後に長い棒を出町は『練棒』、福野は『台棒』と言っているところ。

福野は『連楽』という言い方をするそうですが、横町ブログでは田楽と記載されています。町内によって違うのか?砺波で連楽と言う事はまずありません。

福野の夜高はスラッと細く高さが際立つイメージ。台棒(出町の練棒)も出町と比べ細く、『担ぐ』ための組み方、台であることが分かります。

⇒出町の夜高は練棒が太くドッシリとした組み方。『突き合わせ』、『押す』ための組み方です。

正直、素人目で見ると違いは分からないかもしれませんね(汗

 

行燈(特に山車)のモチーフが各町ほぼ固定

福野は近代になってからは特に山車の形が固定されています。

『○○町といえば××の山車』と言った感じで、曳山の標識(ダシ)のようなトレードマーク。

上町(高見座)、七津屋(屋形船)、新町(神輿)

浦町(御所車)、辰巳町(宝船)、横町(大黒)、御蔵町(花車)

⇒出町の行燈は山車、ツリモンのモチーフが極めて頻繁に変わる

 

行燈の作風、雰囲気

 

 

福野:風流。絵柄、文様等は毎年大きくは変わらない。

あくまでモチーフに忠実な絵柄。(例)木目には木目を描く。山車の長手に絵を描いたりはしない。

出町:絵柄が細かい。色彩豊か。毎年絵柄が大きく変わる。



長手にも絵を描く。

練り回しの違い

・福野は2輪。前の横棒を担いで曳き回す。
・拡声器は使わない。

⇒出町の夜高は曳き回しは4輪で前の横棒を担ぐのではなく押して曳きまわす。行燈の喧嘩(突き合わせ)の時だけ2輪で行います。

⇒出町の夜高は拡声器を用いて曳き回し、突き合わせをおこなう。

 

町内のグループ分け

福野は先述の上り、下り行燈というグループ分けがある。また御蔵町のように大行燈でも喧嘩をしない町内がある。

⇒出町の大行燈は全町内喧嘩をする。また出町の場合は上り、下りの線引きではなく地理的な線引き、南北6町、東5町、西3町。

 

行燈の喧嘩のやり方、起源

福野は曳き子が行燈を壊す。

[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=MYQkcxAsFXQ&[/youtube]

『福野町の昔の町並みは今より通りの幅が狭く、すれ違う時にどうしても引っかかった。道を半分開けてるのに通れないのか、とケンカが始まったのが伝統になった。』

明確な起源は記されていない。

対する出町

⇒出町は行燈同士をぶつけて押し合う。結果壊れる。

[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=BIJWHKW10Zw&[/youtube]

道が狭い時代、相手の行燈を退けて自分の町内が進行するため始まった(つまりルーツは押し合い)とする説。

町内間の抗争、鬱憤を晴らすため行燈の喧嘩が始まった。とする説。
昭和8年6月11日(田祭の翌日の新聞)。

出町青年団の紛争が解決。東町青年団が復帰。

翌年の昭和9年6月10日、東町vs南町が勃発。

出町の喧嘩、昔はヘルメット着用、鎌で相手のロープを切る等が茶飯事だった。

(新聞の記事からも町内間、青年団の抗争が祭りにも持ち込まれたという説は興味深い、説得力がありますね。)

他地区の夜高祭との比較、いかがでしたか?少しマニアックすぎたかもしれません(笑

特に外観的な違いなどは素人には分かりにくいかもしれません。行燈当事者としては何もかも『全く違う』と思っているんですが・・・