過去の新聞記事から夜高祭の歴史を紐解く

富山県立中央図書館には全国紙から地方紙までたくさんの新聞が貯蔵されています。

歴史的資料の乏しいとなみ夜高祭りにもきっと面白い歴史が埋もれているだろうと言うことで、砺波夜高祭有志若衆『夜行会』が歴史を紐解いて行く活動をしています。

出町 の 田祭り 流血さわぎ

*写真は1975年です

検束者奪還を企てるなど折角の祭りもめちゃくちゃ

東礪波郡 出町 田祭り の夜鷹 行燈 が、十一日夜、重症者を出すの大喧嘩をオッ始めた

然して同田祭りは十、十一日の両夜恒例により各町思ひ思ひの 夜鷹行燈 を出して全町を練り廻るうち

十一時頃同町目抜きの中町通り中越銀行前通りへ一方から東町宮の下の 大行燈 が東上するのに南町中上の大行燈が西下するのが行き合う際に東町と南町が小競合を演じたのを警戒中の 出町署員が仲裁して無事引別れをなす事となったのである。

然るに昨年 南町 に手痛くやりつけられた宮の下の連中

此機に於て前年来の鬱積を晴らさんものと引違ひさまに 南町 の 行燈 を引っかけ忽ち目茶苦茶に大破せしめた事からスワ喧嘩だと計り

南町へは中神が、宮の下へは東町が応援して田祭り未曾有の大喧嘩となり双方の行燈に挟まれて見物中のT郎丸H田T次郎長男太郎君(二五)が左肋骨1枚を折り、直ちに松田医師へ担ぎ込んだが全治一ヵ月の重傷であり

更にあふりを食って中町K澤K太郎妻さきさん(六〇)は手甲部擦過傷を負うたので、出町署では断然双方の首脳者十数名を一斉検束をさした処、出町T郎丸のS原T次(三三)が検束者の奪還を企て出町署へ怒鳴り込んでこれもまた検束者の一人となったが、出町署では十二日更に関係者につき厳重取調べ中である。

1934年(昭和9) 6月13日 北陸タイムス記事要約。

喧嘩祭り 、起源は町内間のいざこざ?

現在では喧嘩祭り として知られる 砺波夜高祭り ですが、何ともすごい記事です。

前代未聞の大喧嘩、それ以前は喧嘩はなかったのか?

この記事からは行燈の喧嘩というより人同士の喧嘩と言ったニュアンスですね。

あと気になるのは、この時代の「 夜高 」の記述が 砺波 、 庄川 、 津沢 、 福野 の 夜高祭 に限らず「夜鷹」になっていること。

いつの時代から「 夜高 」記述になったのか?気になるところです。